top of page
執筆者の写真うるおいの森

土葬の村

いまこちらの本を読み進めながら、故郷の土に還れていたころの環境に想いを馳せつつ、いろいろ考えていました。




「死」に対してネガティブな思いを抱きがちですが、そこには次の命へ続くエネルギーが宿っているものと私は思っています。

この本に土葬を続ける理由について「焼かれるのはかなわん、熱いやんか。」といいながら、「死んだら故郷の土に還りたい。それだけや」とつづられています。


故人への切ない想い、亡くなったあとさらに深まる家族との絆、見守ってくれる存在と認識できたり、祈りのきっかけになったり。。。私たちは丁寧な弔いの中に温かくて懐かしい記憶をどこか遠くに残っていると思いました。



今ほとんどが火葬になってしまった背景にいろいろな理由が見え隠れします。

何が正しいか、何が間違っているか、という表現の仕方をすると誤解を生むし、境界線ができてしまいます。突き詰めると争いに発展してしまう。

時代とともに埋葬方法が変化してきたことは、そのときの人間の価値観からなるもので、大いなる自然界の一部という視点で見ると、少しずつ逸れてしまったのではないでしょうか?

いい、悪いは、その時、その人それぞれで異なるので、いまあえて置いておいて、真ん中を眺めたとき、「正しい」とは、自然界の循環という環の中に存在し続けることかな、と思います。それは本来の生命力を輝かせた姿であると思うのです。


なかなか投稿できずに書いては消し、また書いては立ち止まり、を繰り返していましたが、昨日の高田さんの講演を聴いて腑に落ちました。


この本は友人がすすめてくれました。 とても胸が痛みますが、山添村ではメガソーラー開発の計画が進んでいます。 さらに逸れていく私たち人間の身勝手さ。これは明らかに間違い。思いとどまってほしい。 環境がこのまま壊れ続けると、私たちの暮らしも危うい。

暮らしとは生まれてから死ぬまでのこと。 温かな土からうまれて土に還れるまでのこと。

Comments


191206_気になるポット苗
bottom of page