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  • 執筆者の写真うるおいの森

ひとり現地調査

私の住むさいたま市から車で50分ほど。

吉見百穴まで。




穴ぼこだらけの凝灰岩がむき出しになった小高い丘があります。昔は埼玉の小学生はおそらく一度は社会科見学や遠足で訪れたことがあると思います。


環境のこと、微生物や循環、樹木の働きや土蔵風葬。

これらのテーマに携わるようになってから改めて行きたくなって、猛暑の中出かけてきました。


横穴は200以上。およそ1400年前古墳時代の人々の手によってこれだけの横穴墓群が作られていたのです。 どんな目的や用途で掘ったのでしょう?



中には寝床のような少し段差で区切られた部分(棺座)があり、ここに遺体を安置したと言われています。

普段現調に行くと、神社仏閣の裏手の段丘に横穴やその名残が見られることが多いのですが、これだけの数を目の前にすると、まるで集合住宅みたいな印象です。

これだけの数。当時の環境は遺体を速やかに循環の環に迎え入れられるほど、樹々も健全で大地も寛容深く壮大だったと思います。 今を生きる私たちにイメージしきれません。



さて、樹々たちの今の様子は…



丘のてっぺんにはコナラやクヌギなどの雑木がありますが、ものすごい乾き方で崩れかかった穴や斜面が気になりました。人があまり通らぬ山道を降りていく途中はかろうじて苔のはった岩があるけど、周りはパサパサ。

当時、もっと樹々の根が力強くこの岩に絡み合っていたのではないかしら?と想像してみる。(この凝灰岩は以前菌糸がのりやすいと聞いた覚えがあります。) 吉見近辺には黒岩横穴群も存在し、そちらでは人骨の出土が確認されているそうで、やはり吉見百穴と同じく棺座に10㎝から20㎝の縁取りがあり、出口にむかって排水のための溝があるとか。 吉見では観光客の出入りで摩耗してしまったのですね。きっと。 その溝は残念ながらはっきりとは確認できませんでした。



吉見百穴からちょっと先を流れる市野川は、本来地形に沿って蛇行し、百穴の間際を流れていました。

戦時中に軍需工場の用地確保のために河川改修工事がされたそう。いまある駐車場や売店が並ぶところを悠々と流れていた市野川。なるほど…樹々や土地の乾きは戦後急速に進んだのでしょう。まっすぐな川はそもそも不自然…



もうひとつ。百穴そばにある岩室観音。1200年以上前に建立。 弘法大師が岩をくりぬき観音像を掘って岩窟に納めたと伝えられ、岩窟に88体の石仏が祀られています。ここを参拝すれば四国八十八ヶ所のご遍路と同じ功徳をいただけるそうです。





観音堂を抜け左手に穴が開いた崖が見えます。胎内くぐりです。多くの人々が願いごとを胸に秘めながらくぐったことでしょう。

あまりの暑さにこの後行きたかった松山城跡地は次回また。 みなさんも、身近にある神社仏閣周りや、こんもり茂る高木の森や杜をぐるっとひとめぐりしてみては?

私は雨の日にもう一度行きたいと思います。 水からの情報は大変奥深いものがあるからです。 まだまだな未熟なひとり現調ですが、 徐々に広く深くみることができるよう精進します!



191206_気になるポット苗
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